そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

便利と引き換えに失われていくもの。


男は待った。雪の降る中、駅の改札前で来ない恋人を信じ、じっと待っていた。
1時間経ち、2時間経ち、最初は不審な目で見てきた駅員も、段々、同情の視線を向けてくるようになり、それでも彼女は来ない。
3時間経ち、4時間経ち、寒さに体の芯まで冷えて、立っているだけで精一杯になる。


6時間後、彼女は来た。しかし、男が見当たらない。
もう諦めて帰ったのだろうか、いや、それでも自分が諦めるわけには行かない。
会いたい。
6時間も遅れてきた自分は怒られるだろうか、呆れられるだろうか、それでもいい。一目会いたい。
無理なのだろうか。女の目から沸き、こぼれそうになる涙。


と、そこへ男が缶コーヒーを両手で転がしながら歩いてきた。
「あれ? 来てたんだ」
女は怒る。「来てたんだ、じゃないわよ! どこ行ってたのよ!」
「いや、寒いからコーヒーでも、と思って」
「バカ! バカ!」
男の胸を軽く殴りながら、女は泣いた。男は力無く体を預けてくる女をしっかと抱きしめた。


あー、すれ違い、恋煩い、ベンベン。


って携帯電話以前の「良かった話」としてたまに耳にしますが。
どう考えてもいい話じゃないよねえ。
携帯電話があれば、避けられた話だよねえ。


これを「良い話」ってするのは、なんかこう強がりというか、やせ我慢っぽい気がする。
「日本の夏は暑いさ! でも風鈴とか打ち水とか風流じゃねえか」ってのと一緒で、やせ我慢な気がする。


グーグルストリートビューで「望郷の念とか全く無視で、すぐに実家が見れる! なんだこれ!」と怒ってる人がいたけど、本来、望郷の念ってのが、不便を美化をした言い方なんじゃねえかな、と思った。


ああ、でも、どんなに技術が進歩しても、元カノの現在とかは知りたくないなあ。


「あの頃、ひまわりのような笑顔を向けてきた少女は今では3人の子持ち、原チャで歩道を走り、昼間からファミレスでご近所さんと無駄話をし、旦那の小遣いを何かにつけて減らしたがるステキなレディになっていました」


とか、そんなサービスは全くいらない。やせ我慢とかじゃなくて、本心でそう思う。