そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

その解釈間違ってますよ。


『使えない個性は、要らない個性。』
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20090226/p1


先に、間違ってる点をば。
大ヒットソング「世界にひとつだけの花」を指して、

この歌のなかでは“ナンバーワンにならなくても特別なオンリーワン”が手放しで礼賛されている

と書いてます。


なんで、こんなに悪意のある解釈されるんだろうなあ、と不思議に思うんですけどね。


あの歌はサビの最後に「その花を咲かせる事だけに一生懸命になればいい」と言ってんですね。
つまり、隣の人はどーだった、とか川向こうのアイツはどーだった、とか比べるんじゃなくて目の前にある自分が出来る事を一生懸命しろよ。
そうすれば「小さい花や大きな花、一つとして同じものはないから」オンリーワンになれる、って歌なんです。


と指摘しておいてから本題(前フリなげー)


まず、最初に。


「使える」「使えない」という判断は、事後確認になっちゃうんですよね。
有名な話だと、薩隅暗号というものがあります。
大戦中にどんな暗号を作ってもすぐに解読されてしまって困った日本軍が、採用した暗号が薩隅弁だった、という話です。
連絡員を薩隅の人に限定するだけで、外国人には非常に難解な暗号に聞こえたという話です。


これなんて、まさか薩隅の人も薩隅弁が役に立つ個性だったとは思わなかったでしょう。


だから、

『使えない個性は、要らない個性。』

というのは、誰がどのタイミングで「使えない」と判断するのかが問題です。


薩隅弁の例でもある通り、本人達は当たり前と思っている、あるいはコンプレックスとしている可能性もあります。
往々にして本人の魅力というのは他人が気づくものです。
浅はかな自己判断は厳禁です。


さらにどのタイミングで判断するのか。
戦時中に薩隅弁が役に立つ、なんて事はその時になるまで誰も気づけませんでした。


これを「一部の限定的な話じゃないか」と思う事なかれ。


個性なんてものは、限定的かつ一部の人間にしか有効活用されないものなんです。
全盛期のアインシュタインを幼稚園に放り込んでも、ただの「難しい事を言うおっさん」です。
美人コンテストの日本一位をアフリカのマライ族の村に連れてっても「貧弱な体」と馬鹿にされるのがオチです。


だから、むやみやたらと「ナンバーワンにならなくてもいい」というわけです。
最初からそんなものは幻想でしかなく、存在しないんですから。


んで、

「ナンバーワンまで上りつめたエリート個性だけが、特別なオンリーワンとして認められる社会。」
「使える個性」「買い手のつきそうな個性」だけに買値がつくような人間市場。
没個性なテンプレートに自分自身を適合させなければならない職場や職種。

というのもまた幻想なんですね。


単なる思い込みです。
ナンバーワンまで上り詰める人は、ナンバーワンですから一人しか存在しません。
では、それ以外の人は認められてないんでしょうか。


大衆食堂が二軒並んでいたら、どちらか片方は潰れるんでしょうか。
そうとは限りませんよね?
隣と違う料理を提供すればお互いにやっていけるし、やり方次第では相乗効果で来客アップも見込めます。


没個性になる必要はないんです(むしろ逆です)
キムタクがかっこいいからといっても、別にキムタクが日本中の女性をさらってくわけでは、ありません。
腹黒い金持ちがいるからといっても、そいつが日本中のお金を回収してしまうわけでもありません。


むしろ、彼らにないカードを自分が持ってる可能性もあります(というか持ってます)
「自分なんて」と卑下する人は、そのカードの存在、使いかたを知らないだけです。
もしかしたら、一生知る事もないかもしれませんが、それはカードが悪いわけではないです。
知ろうとしなかった本人が悪いんです。


教育が悪いわけでもなく、世間が悪いわけでもなく、歌が悪いわけでもない。
カードのせいにして、勝負してこなかった本人が悪いんです。


セーフティネット生活保障の問題もありますが、根本的な問題として、本人に向上意欲がなけりゃどうにもなりません。


と思いますよ。