仕事は別にいいんだが、通勤したくないでござる。
夏本番になってきて電車はさておき、外が暑いのなんの。やってらんねー。
なんで、みんなこんな中、しかめっつらしながら通勤してんの。
そりゃ、外国から日本のサラリーマンが異常扱いされるわ。自分なんかもうくじけそうだもの。心おれそう。
スト起こして会社休んだ挙げ句に、解雇通知言い渡されて「この解雇は不当だ!」つって裁判起こすぐらい休暇に真剣になろうぜ。
そういや、イタリアって夏の一番暑い時に1ヶ月ぐらいバカンス休暇取るらしいね。
なんで、前世の俺は転生する時にイタリアを選ばなかったんだろうなあ。
もしかしたら前世の自分はピクルスが苦手だったのかもしらんなあ。
あー。暑いなあ。
■面白さの定義。
「おもしろいってなんぞや」
ゲーム作る学校通ってたので、当時はこんなことを延々考えてたけども。
最近、小説についても考えてるので、その途中経過をダラダラと。
最終的には「友達ができて楽しい」につながるんじゃねえかな、と思う。
ゲームでも漫画でも、やっぱ他人と同じ話題で盛り上がると楽しいわけですよ。
「おもしれーよなー」「なー」と。
ただ、そうなるには、他人と出会う必要があるわけなので、他人と出会えない人は楽しくないのか、っつー疑問が生じる。
そうじゃないよなー。
ドラクエでもドラゴンボールでも一人で楽しめるもの。
それってなんで? なんで楽しめるの?
で考えてみたんだけど、多分、作品が一人の他人なんですよ。
キャラクターとか物語とかあるけど、それって要するに作者そのものなわけです。
作品を楽しむ、ってのは作者の人格を楽しむ、ってのに近いんじゃねえかな、と思う。
んで。
人間って、一人一人をじーっと観察すれば面白いんですよ。必ず面白い。
これは人間が社会的な生き物である限り、面白いと感じるように出来てるんです。
あなたも面白いし、俺も面白い。
じゃあ、あとはそれを表現するだけなんですよ。
何にコンプレックスを感じていて、どの選択を後悔して、誰が好きで、誰が嫌いで、何を食べるとどう思うか、鼻をかんだら見る派か見ない派か。
全部さらけだす。
その上で、考えた物語をぺいっと書けば、それって多分「イヤでも面白いもの」になると思うんですよねー。
とかなんとか考えながら作品書いてます。