そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

ふと、やりとりをしていて思うこと。

 
「学校では○○を学んでいましたが、現在は何の役にも立っていません」
 
よく聞くフレーズだし、まあ、謙遜と捉えることも不可能ではないのだけれど、これを謙遜だと思って使う点に、若干の不満を感じる。
 
というのも、学ぶのは一人ではなかなかやりにくい。
そこには教師はもちろん、先輩後輩同級生もいるであろうし、例え『ぼっち』と呼ばれる境遇であったとしても、教科書や論文の作者がいなくては、独学もままならない。
 
どこぞの誰かの「教えてやろう」というビジネスに近い親切心があってこそ学ぶことが出来る。
 
で、あれば「何の役に立たぬ」というのは、回りまわって失礼な言動ではないのかなあ、と思ったりしないでもない。
 
もちろん、世の中そんなしちめんどくさい事を考える人ばかりではないどころか、むしろこの場合、自分がめんどくさい人なだけであるので、サラッと「そうなんですかー」と流すだけであったりする。
 
が、やはり心に涼しすぎる風が吹くのも、また現実である。
 
■本日はずっと寝ていた。
 
寝てました。