そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

鶏口となるも牛後となるなかれ。


Twitterに投稿した内容のコピペ。

大抵の人が目指しているのは鶏口だろう。「小さな家庭でいいから、子育てして伴侶と仲良く暮らしたい」なんてのはまさしく鶏口だ。あるいは「稼ぎは少しでいいから自分の好きなことを仕事にして生きていきたい」というのも鶏口だ。

そも「鶏口って何よ」というと、自分がトップに立っている組織体のことだと思うのですよ。当たり前やね。「じゃあ、どうすればそんな組織を見つけられるの?」「そんな都合のいいもん誰が作ってくれんの?」いや、誰も作ってくれませんよ。

最終的に「自分で作る」しかないのだろうな、と最近気付いた。それは自分に金や手間を出してくれるファンやパトロンを増やすことだ。起業するのも作家目指すのもこの点では一緒。

とどのつまり、誰かが作った組織の中で「俺の都合のいいようになーれ」と何度念じても、何百時間残業しても、それは叶わない。何故なら、それは別の誰かにとって都合のいいように作られた組織だからだ。


■非常によくある質問への回答。

以前から「実家でのんびりしながら作家活動した方がいいんじゃないの?」という質問というかアドバイスを受ける。
発言者達の立場を考えると「都会に来て牛後となるより、田舎で鶏口やってた方がいいんじゃない?」という意味合いなのだと思う。
でも、それは田舎という地域への認識不足なのですよ。


例えば、自分は転職先をwebディレクターで狙っているけれど、田舎だと自分は「パソコンできる人」というくくりになる。
「インターネット・メールが扱える」と「インターネット上でサービスを展開できる」の区別がつく人が極端に少ないのだ。だからひとくくりにされる。その場合、待遇はもちろん低い方に統一される。
そこには仕事に対する敬意もへったくれも無い。


今でこそ多少はマシになったけど田舎で働き始めた頃は、架空請求業者デイトレーダーと同じ扱いを受けてました。
「なんや、よう分からんが、パソコンいじって金儲けてるらしいわ」という共通点で。


仕事は、その仕事を理解できる人が評価して初めて正しい評価となる。
大企業でも「正しい評価法」については永遠の課題とされているのに、田舎じゃまず「正しい評価法が必要である」という認識すら無い。分からんもんは分からん、で流される。


さあ、そんな環境で、がんばりたい人いるかい? 俺は嫌だ。


■正直、声を大にして言いたいんだけど。


同業者と「お疲れさま」て言い合えるのって、幸せな事なんだよ!