そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

よく分からない、というのが正直なところ。


写真で見る阿久根市の現状ー独裁政治の悲劇ー
http://d.hatena.ne.jp/akune_genjo/


目を通した。
でも、いったいどころへんが独裁政治の悲劇なのかさっぱり分からなかった。

消防署長や小学校の校長が壁画を断っても、「問答無用」で描き始める恐ろしいプロジェクトだ。
個人商店のシャッターについては、その商店主の了解をとって絵を描いているが、必ずしもシャッターに絵を描かれている店が、竹原派とも限らないらしい。
多くの場合は「無料で描いてくれるのならば描いてもらおう」という住民の安易な意思決定によって、町中に拡散した竹原市政のプロパガンダだ。
お金のない市では、一度このような大きな絵が町中に描かれたら最後、当面それを消すための予算は捻出できそうにないという。

著作権法違反の壁画は問題だと思うけれど、ディズニー、ジブリなど現役バリバリで訴えてきそうなものは防波堤や消防署に描き、個人商店のシャッターに書いてあるヤバいものはせいぜいビートルズネタぐらいなので、個人商店が訴えられることはまず無いと思う。
こういった点だけ見ても、市民に一定の配慮をしているように見える。


ちなみに防波堤に壁画を、というのはどの港町でもやるベタなことである。
だいたい町民、市民にボランティアで声をかけ「壁画描きませんか?」と好きなテーマで描いてもらうのがよくある手なので、そこに税金を投入したのは個人的にはどうかと思うが、そこらへんは長のやり方だろうし、それこそ素人絵と差をつけたかった、という理由かもしれない。
ボンタンアメは恥ずかしいミスだと思うけど、そこまで大げさに騒ぐほどのものではない気がする)

お金のない市では、一度このような大きな絵が町中に描かれたら最後、当面それを消すための予算は捻出できそうにないという。

個人単位でホームセンターでペンキ一缶を買ってきて塗りなおせばいいんじゃないだろうか。
税金を使うからめんどくさいのであって「俺はいやだ!」という人がてきとーにペンキで消すのは簡単なことだと思う。

竹原氏に票を多く入れているのが、彼をとりまく一部の妄信的な集団と高齢者だという話は有名だ。竹原氏は、スクーターで高齢者の自宅を訪問し、選挙活動をしている。高齢者にしてみれば「これまで自宅にまで熱心に訪ねてくれる政治家はいなかった。」と感激し、彼の言う聞こえの良い政策を全て鵜呑みにし、票を入れているらしい。同市で多くの人口を占める70代、80代、90代、そして100歳以上の有権者は完全に彼のターゲットだ。

彼は票を集めるために、選挙では、老人ホームなどの住民を車で投票所まで送り迎えをしたと言われている。

自分がなにより「悪いことではないんじゃね?」と思ったのは、老人への訪問だ。
そりゃ年寄りはありがたがるし、移動手段まで用意してくれるなら喜んで票を入れるだろう。
この一件で当選したというのなら、次の候補者も同じことをすればいいだけの話だ。
それが候補者に出来るかどうかで年寄り達は判断しているのだろう。

彼は低所得の市民に「公務員の給料引き下げ」など、聞こえの良いスローガンを掲げる。

そりゃ、理想の市政を語れば、聞こえのいいスローガンになるのは当然だ。これはどこの国の選挙でもおなじこと。

竹原前市長は、彼のやり方に疑問を持つ住民には一切耳を貸さないという。それどころか、彼の政治に疑問を持つ企業や個人には嫌がらせをしたり、公共の施設(保育園など)には、市からの補助金を突然打ち切ってみたりして、彼の意見に従うよう圧力をかける。そのような、「脅し」を使って市民を動かそうとする恐怖政治。そういった話が後を絶たないという。

これもまた当然。
この人が書いていることを信じるのであれば、市の財政はカツカツなのだろう。
仲間割れをしている余裕はどこにもないから、徹底して反対者は排除するしかない。
この排除方法が合法である限りは、問題はないし「全員に納得していただけるまで説得する」なんて悠長なことを言っている間に財政破綻してにっちもさっちも行かなくなる。
問題があるのであれば、そこをクローズアップして書いた方が良いと思う。
(リンク先のおりた幼稚園の件も読んだけれど、訴訟中なのであれば白に近いグレーだ)

彼を妄信的に信じる市民は、彼の掲げる、聞こえの良いスローガンの裏にある問題点を理解しない。

この一文が象徴するのは、この書き手もまた彼に票を入れる人間の判断能力が「劣っている」として差別してることだ。
そして、肝心なところで「だと聞いている」「という」と曖昧に締めている。
裏付けもないし、これじゃただの悪口だ。


■最後に。

自分は阿久根市のことをよく知らない。
よく知らないので、この記事を興味深く読ませてもらった。
記事を読めばなるほど、竹原信一という人物はかなりグレーな人物であることが伝わってきた、けれど、書き手もまた限りなく同じ色に近い人物ではないか、と思えてくる。
どちらもグレーであるならば、相手にしないのが小市民の常である。


正しいことを書くのであれば、情報の正しさ、言葉の正しさには気をつけるべきだ。
そうでなければ、味方の背中を撃つことにもなりかねない。


と、青少年育成都条例の改正案の件を経て、自分は思った。