そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

知らない番号。

 
こないだから、何度か電話をもらってたんだけど、日中の仕事中だったので取れず。
折り返しかけなおしたら、「○○事務所のほにゃららともうします」とさっぱり分からないことを言われ。
 
なんかややこしいもん買ったか、あるいはまたストーカーのいたずら注文かなー、とか思いつつ応対してたら「民主党議員の○○□子の事務所です」と言われ「あー! ああ、はいはい!」と分かりました。
 
以前、青少年保護条例の時に手紙出した議員さんでした。
なんかだいぶ前の話のようにも思えるけど、つい去年の話なのよね。
 
ちなみに自分は気がついたことや言いたいことがあると、すぐ手紙出します。
メーカー、政治家問わず。
別に返事は期待してない。対応する部署があるかどうかも分からんのでね。
ただまあ、読んでくれりゃいいや、と思ってるし、手紙を出すことで「なんかした!」と自己満足にも浸れる。ストレス発散と立ち位置の把握に良い手です。
 
話を戻す。
 
しかし、民主党かー。
今、ちょうどゴタゴタの学級崩壊してる政権じゃないっすか。
 
と思いつつ、話を聞いたら「おしらせの手紙を送りたいんですが」と言われたので、今の住所を伝えときました。
 
んで、お知らせが届いたので見てみると原発関連の話がホットニュースなようで、講演会するとかなんとか書いてある。
 
ちょっと行ってみようかな。と考え中。
 
■「知りたい」は「許したい」
 
思考のまま、だらだら書く。
 
知らないものってキライだよなあ。
 
じゃあ、知ってるものは好きなのか。
うーん、その対象による。
 
でも、知りたい、ってのは、それを好きになりたい、って意志に近い気がする。
小説だと「あなたを知りたい」って告白はよくあるもんなあ。
 
「嫌いなものに消えてもらいたい」ってのは、割と誰にでもある感情だと思う。
だとすれば、それを知りたい、ってのは「消えなくても、そこにいていいよ」という許しなんじゃねえかなあ。
 
や、許すとか許さない、っていうとかなり上から目線だとは思うけどね。
「おまえに許されなくたってここにいるんだよ」と。
 
でも「こんな俺がいていいのかな」って不安はたまにやってくるよね。
そういう時「いてよい。許す」って言われたら、楽になれると思うんだよなあ。
 
あー、いや別にへこんでないですよ。
 
ただ「知りたい」を「許す」と解釈すると、好奇心ってのは、もっとも宗教的な救いをもたらす概念かもしんねえな、と。
 
よくまとまらないまま、終わる。