「食える野草図鑑」みたいな本を子どもの頃に読んだんですよ。
『サバイバルでも生き残れるやつ』みたいなのに憧れてて、だったらそのへんの草を食うのは基本だろう、と思いまして。
結論からいうと、無理でした。
『食える』と『おいしい』の間には、大きな超えられない壁があって、自分がいかに贅沢なおいしさに囲まれてぬくぬくと育ってきたのかを思い知らされただけでした。
大自然コワイ。
ちなみに、図鑑の野草は、大半が「食べ方:天ぷらにすれば美味」とだけ書いてありました。
生はダメなんだ、加熱しただけでもダメ、天ぷらにしてようやく美味。そして、きっとここで言う『美味』は、一般的評価の美味とは違うんだろうな、と察するわけです。学者然としたヒゲモジャのおじさんはうまいうまいと食うんだけど、周りの人は閉口してる、みたいな光景が容易に想像できる。いや、著者がヒゲモジャのおじさんなのかは知らないですけども。
うまいの反対はマズいですけど、そこを「食える」と拾い上げるのは前向きだと思います。しかも拾うために天ぷらという手間を加えてる。
好きでないものを嫌わないための努力って、自分は好きなんですよね。
もちろん、努力なので、めんどくせえや、で投げちゃってもいいんですけどね。