読んだ。
自分も発信することが減った。
ブログもTwitterも、発信頻度がすごく減った。
今から考えると、発信するエネルギー源が「怒り」だったんだろう。
今は、仕事量も落ち着いてるし、嫌いな通勤電車に乗ることは無くなったし、プライベートに問題があっても友達を頼ることを覚えた。
あと、人間に対して諦めることがすごく増えた。
SNSを見れば今日も争いは絶えないし、人をばかにした発信は無数にある。
善悪でいえば、悪なのかもしれないけれど、争いや発信のもとを正せば、当人が理不尽に傷つけられたことからスタートしていたりして。
だからといって、ナイフを振り回してよい道理は無いんだけど、そんな見ず知らずの人に「やめたまえ、話し合いをしようじゃないか」と体を張る覚悟はない。
じゃあ、達観して傍観者でずっといようか、というと、それはそれで社会性の動物には難しい。
魔法世界の隠者のように、人里離れた塔にひっそり住んで、衣食住の世話は魔法の召使いに全部お任せ、みたいな生活ができるなら、貯金をはたいてでも始めるんですけども。
そういうふうにはできてない。
衣食住、どれをとってもお金はかかるし、庭をこっそり掘って温泉をあてようにも、庭のある一戸建てに住むことすら首都圏では現実的じゃない。
とはいえ、お金のためだけに働けるほど、人間ができてない。すぐ腹が立っちゃう。
だから、せめて腹の立ちにくい仕事を選ぶようにしてるし、選べるように勉強も続けてる。
じゃあ、これで満足か、というとそんなことはなくて。
不満だから腹が立つし、腹が立ったエネルギーで勉強をしてる。
チキショウ今に見てろ、と。
とりあえず今日の俺にできることをやってやるからな!と。
震えて待ってろ、この野郎!と。
俺は風邪ひかないように毛布追加するからな!と。
「西川の毛布がいい」と言われても、西川は暖簾分けが多すぎてよくわかんないぞ!と。
あと、楽しみを持つようにしてる。
高校生ぐらいの頃には「俺、ゲーム好きだな」と気づいてゲーム作るほうに進路を進めたんだけど、作るほうにはそんなに関心なくて。
(物語としてのゲームは、個人のワガママが通しにくい)
でも、40代になった今でもゲームの新作を楽しみにできるんだから、やっぱ好きなんだな。
今だと、FF14の拡張版が12月に来るのでめちゃくちゃ楽しみにしてる。
FF14が最優先ではあるんだけど、先日発売されたジュラシックパーク2も購入待ちの状態で。これは買っちゃうと、睡眠時間をガン無視して遊んじゃうのが分かってるので、年末に買おうと思ってる。
1月以降も楽しみにしてるタイトルがいくつかある。
悪くない生活だと思う。
子育てもしてないし、納税も大した金額をしていない。
頑張ってあくせく働くのは若い人に任せて、頑張れ頑張れと応援するばかりだ。
経済的な意味の生産性などは、カケラほどもないだろう。
でも、それでいいじゃないか、と開き直ってる。
「植物は光合成してえらい」というが、光合成には二酸化炭素が必要なので、その二酸化炭素を生み出す俺もまたえらいではないか。
希少価値だなんだ、と言っても、どこかがバランスを欠けば、全体のバランスが悪くなるんだから、つまるところ俺は存在するだけで必要な存在なんだよ。
誰がなんと言おうと、俺は、俺にとって唯一無二の存在なんだよ。
最近そんなことを考えつつ、50代に向かってます。