いまさら。
特にネタバレなしの感想文です。
『君の名は』を見て、(気持ち悪いファンの一人として)「ああ、新海誠監督はいろいろアレになったんだな」と思ってしまい。
それ以来、なんか明るそうな作品には近寄らなかったんだけども。
見てみてよ。と友人に言われたので、見てみた。
面白かった。
改めて、新海作品を最初から見直してみようかな、と思った。
作品については以上です。
見ている時に、実家で働いてた頃、毎朝、天候をチェックしてたことを思い出した。
魚を天日にさらして干す仕事がある。
日本海側にある過疎の漁師町。
年間降水日数は172日。『降った日』でほぼ半分。残りのほとんどは『降りそうな日』。
そこで魚を干す。
シラフでツッコミを入れるなら「なぜ、その仕事を選んだのか」と言いたくなる。
けれど、漁業以外の産業が育っておらず、近くに消費しきれる大きな街がないから、保管のために干している。消去法だ。
魚を干すのに重要なのは、風だ。
紫外線量は、割とどうでもよいので、雨さえ降らなければ良い。
でもまあ、けっこう降る。
毎朝、空を見て「降りそう、、、だけど、まだ降ってないから降らないかも」と期待を込めて、準備をして魚を干す。
干してる最中に降り出したりすることもある。
そんな時は、急いで取り込んで、狭い作業場に広げて、大型の送風機を全力で回す。
私が事務所として使っていた部屋まで、湿気や匂いが流れてくるので、本当に勘弁してほしかった。
でも、それが「ここで生活する」ことなのだと思ってた。
天気はコントロールできない。
雨が降れば傘を差し、風が吹けばしがみつき、雪が降れば雪かきをして、晴れの日には散歩をする。
そうやって『ついていく』。
ついていけなくなった者は、いなくなる。
そういう死生観。
反面、東京では、自然をコントロールしよう、って気合いをすごく感じる。
別に「大自然のままが本来の姿」みたいなことはあんまり思わなくて。
ビーバーが川の流れに逆らってダム作るのも大自然の一部だし、鳥が木の枝集めて巣を作るのだって大自然の一部で。
その延長線上に、人間がビル作ったり、屋内で畑作ったりしている。
人間が「自然をコントロールしてやるぞ!」て思うのも、「流れのままに生きて死ぬのだ」て思うのも、どちらも大自然だと思う。
個人的には、元気な時は「流れについていってやるぜー」と思うし、元気がない時は「屋内!エアコン!」って思う。
まあ、勝手な生き物だし、勝手な生き方だよなあ、としみじみ思う。
そんな感じで、人間のちっぽけさを感じた。