そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

配られたカードにひそむ見えない要素。


※アメフト漫画「アイシールド21」のネタばれを含みます。





アメフト漫画「アイシールド21」の中で個人的に印象的なシーンがある。
それは賊学が予選敗退後、賊学キャプテンの葉柱類と泥門の比留間がベンチで語り合うシーンだ。


同じように弱小高校から全国大会を目指し、マイナースポーツゆえに同じように暴力と恐怖でメンバーを集めた。
なのに賊学チームは強敵を前に試合開始直後に心を折られ、泥沼チームはそれを見て対抗策を考えようとしている。
同じ手法で同じ志を持っていたにも関わらず『チーム』すら作れなかった葉柱は悔しさをむき出しにして、比留間に問う「お前とオレと何が違うっていうんだ!」


この悔しさは自分にも分かる。
というか、それなりにわき道の多い人生を過ごしていれば、誰でも一度は思う事だと思う。


同じ手法で仲間を集めても、タイミングや環境に大きく左右される。
こういった事は現実でも、多々ある。
若い作家によくある話で「出来た作品を読んで喜んでくれる友人がいた」というのもある。
うらやましい話だと思う。
ベンチャー企業でも「あの時のあのメンバーじゃないと、ああは出来なかった」という偉業が多々ある。


非常にあいまいで、絶対的要素と認識するにはリスクが高すぎる概念であるけれど、それは確実に存在する。
人生は配られたカードで勝負するしかないのだけれど、そのカードには、もう一枚「縁」という自分からは決して使えないカードが存在する。


「運が無いからあきらめろ」という話ではないです。
「努力なんか関係ねえよ、運だよ運」という話でもないです。
どうしようもない事もある、という事を認識しておくと、人生のクッションになるので、ちったぁマシになりますよ、という話です。