そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

基本的に「一生懸命やらない」です。


なんやかんやでね。のらりくらり生きてます。
のんびりやればいいのよー、ぐらいの感覚で。
精一杯やっちゃうとトラブル起きた時にテンパっちゃうからねえ。
「のんびりでしかやらない」と決めてしまえば、それ相応にスケジュール立てられるもんなのよ。
焦るとロクな結果にならないからねー。


■漫画の読み方、いろいろあるね


この装丁がすごい!〜漫画装丁大賞〜2010 良いコミック
http://yoicomic.blog24.fc2.com/blog-entry-195.html


装丁のみを評価する記事。
箔押しとか、上等な紙使ってるとか、和紙使ってるとか、デザインいいよね、ってのはパッと見で分かるんだけど「フェローズ系」とかデザイナーがどうこうってな視点は初めて知った。


言われてみればフェローズのコミックって表紙凝ってるよなあ。
特に記事にあるジゼルアランとか良いよね。
完全に表紙買いしたもの。
しかしアレだな。こうしてみると、俺、全然漫画読んでねえな。
ほとんど知りませんでした。
また、本屋に行った時にチェックしてみよう。


■一つの学問を最上段に振りかざすやつにロクなやつはいない。

数学でも経済学でも政治学でも文学でもなんでもそうなんだけど。
学問は前提となる仮定があってこそ成立する論理なので、その仮定をとっぱらった現実では、しばしば机上の空論となる。


例えば「おまんじゅうを6人で分けるには6個に切り分ければ平等となる」という話があったとする。
算数で考えれば、当然の話だ。
でも、これには「切り分ける際にロスは発生しないとする」「6人の立場は同じであると仮定する」というような前提条件が隠れてんのね。


この6人が対等の立場でない場合は、年功序列や子供優先などの条件が発生するし、包丁一本しか道具がない場合、正確に6等分するのは難しいし、おまんじゅうが柔らかい場合、切り口によってパッと見の大きさが変わる。
更に好き嫌いとか言われ始めたら、完全に崩壊する。


なので、譲り合いやら認め合いやらといった宗教道徳でこれをカバーする必要性が出てくる。というのは、社会人やってりゃ嫌でも分かる話なんだけどね。


いや、なんか中学生が経済学を元に問題提起してんのが絶賛されてるのを見て、そんなことを思いました。
宗教を許容しない人間は、生きてくの辛いと思うし、若いうちに誰かが教えてあげないと勘違いしたまま、大失敗やらかすことになると思うんだけどね。


「公平である必要はないが、公平感は必要だ」だっけ。カイジに出てきた金持ちが言ってたじゃん。アレよアレ。
正しさなんて、割とどうでもいいのよ、みんな。