そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

やりたいことができてない感。

が強くて、「なんか面白くないなあ」と思うことの多い一年だった気がする。

 

じゃあやりたいことってなんだよ、って考えてみるも、うまく言語化できない。

この辺、来年はもっと手を出して形にしていくことで、進めたらいいなあ。

 

■カレンダーを振り返ると、何かしらやってる。

親知らず抜いたり、精密検査受けたり。だいたい健康体です。

でも「健康体である」って確認するだけのことに時間をかけねばならない年齢になったんだなあ、としみじみ思います。

 

■仕事の種類を増やしたい。

今はインプットの量が多いこともあって、コツコツ系ばかりやってるんですが跳ねないんですよね。

来年はインプットの量を減らして、アウトプット多めにできたらな、と思ってます。

とはいえ、根本的にお金儲けに対して執着がないので、ハズレ前提の趣味感覚でできるやつを何か探そうと思ってます。

 

■家事しんどいよね。

まず、前提として「家事しんどい」があって。

ただ、毎日やると慣れてくるので、しんどさが減ってくるんですよね。

んで、料理についてはしんどさよりも楽しさが勝つので、割と平気なんですが。

 

掃除はきつい。まるで楽しくない。

なので独身の頃は、お金払って他人にやってもらってたんですよね。

来年はちょっと掃除は外注しようと思います。

 

■映画ぜんぜん見れてない。

そもそも外出できてない。

マスクつけたまま外出ってのがメガネ族にとってほんとしんどい無理。

 

ひきこもり生活も長く続いてるのですが、いいかげん鬱屈としてきますね。

歴史小説でたまに見かける「倦む」(あぐむ)ってやつですかねえ。

行き詰まってる感ある。

 

来年はよい年になるといいですね。

 

。。。ほら、なんか元気ないでしょ!エネルギーというかパッションが足りて無いんだよなあ。

あー、パッションー!

不毛なことには首をつっこみたくないし、くだらないことはやりたいんだ。

orangestar.hatenadiary.jp

 

読んだ。

 

自分も発信することが減った。

ブログもTwitterも、発信頻度がすごく減った。

 

今から考えると、発信するエネルギー源が「怒り」だったんだろう。

今は、仕事量も落ち着いてるし、嫌いな通勤電車に乗ることは無くなったし、プライベートに問題があっても友達を頼ることを覚えた。

 

あと、人間に対して諦めることがすごく増えた。

SNSを見れば今日も争いは絶えないし、人をばかにした発信は無数にある。

善悪でいえば、悪なのかもしれないけれど、争いや発信のもとを正せば、当人が理不尽に傷つけられたことからスタートしていたりして。

だからといって、ナイフを振り回してよい道理は無いんだけど、そんな見ず知らずの人に「やめたまえ、話し合いをしようじゃないか」と体を張る覚悟はない。

 

じゃあ、達観して傍観者でずっといようか、というと、それはそれで社会性の動物には難しい。

魔法世界の隠者のように、人里離れた塔にひっそり住んで、衣食住の世話は魔法の召使いに全部お任せ、みたいな生活ができるなら、貯金をはたいてでも始めるんですけども。

そういうふうにはできてない。

 

衣食住、どれをとってもお金はかかるし、庭をこっそり掘って温泉をあてようにも、庭のある一戸建てに住むことすら首都圏では現実的じゃない。

とはいえ、お金のためだけに働けるほど、人間ができてない。すぐ腹が立っちゃう。

だから、せめて腹の立ちにくい仕事を選ぶようにしてるし、選べるように勉強も続けてる。

じゃあ、これで満足か、というとそんなことはなくて。

 

不満だから腹が立つし、腹が立ったエネルギーで勉強をしてる。

チキショウ今に見てろ、と。

とりあえず今日の俺にできることをやってやるからな!と。

震えて待ってろ、この野郎!と。

俺は風邪ひかないように毛布追加するからな!と。

「西川の毛布がいい」と言われても、西川は暖簾分けが多すぎてよくわかんないぞ!と。

 

あと、楽しみを持つようにしてる。

高校生ぐらいの頃には「俺、ゲーム好きだな」と気づいてゲーム作るほうに進路を進めたんだけど、作るほうにはそんなに関心なくて。

(物語としてのゲームは、個人のワガママが通しにくい)

 

でも、40代になった今でもゲームの新作を楽しみにできるんだから、やっぱ好きなんだな。

今だと、FF14の拡張版が12月に来るのでめちゃくちゃ楽しみにしてる。

FF14が最優先ではあるんだけど、先日発売されたジュラシックパーク2も購入待ちの状態で。これは買っちゃうと、睡眠時間をガン無視して遊んじゃうのが分かってるので、年末に買おうと思ってる。

1月以降も楽しみにしてるタイトルがいくつかある。

 

悪くない生活だと思う。

 

子育てもしてないし、納税も大した金額をしていない。

頑張ってあくせく働くのは若い人に任せて、頑張れ頑張れと応援するばかりだ。

経済的な意味の生産性などは、カケラほどもないだろう。

 

でも、それでいいじゃないか、と開き直ってる。

「植物は光合成してえらい」というが、光合成には二酸化炭素が必要なので、その二酸化炭素を生み出す俺もまたえらいではないか。

希少価値だなんだ、と言っても、どこかがバランスを欠けば、全体のバランスが悪くなるんだから、つまるところ俺は存在するだけで必要な存在なんだよ。

誰がなんと言おうと、俺は、俺にとって唯一無二の存在なんだよ。

 

最近そんなことを考えつつ、50代に向かってます。

やわらか大根チャレンジをする男。

結婚して数年経つ。

んで、今夜は何度目かのおでんを仕込んだ。

目指せ、やわらか大根チャレンジだ。

 

自分は、おでんは練り物、ちくわや天ぷら(さつま揚げのこと)があれば満足なのだけど、奥様は大根と卵が好きである。

しかも、奥様は根っからのコンビニ好きなので、当然、大根はコンビニ流の柔らか&だしが染み込んだアレを好む。

しかし、アレが難しい。

 

圧力鍋でもあれば一発なんだけど、そんなに手のこんだ料理をする意欲もないので持ってない。

じゃあ普通の鍋で下茹でするか、ってなるんだけど、あれ、湯で時間がハンパなくて、前回1時間ほどグツグツ茹でたのに外側が全然硬くてグヌヌってなったのよね。

(ケチって皮を薄くしか剥かなかったのが敗因)

 

それでも奥様は「おいしいよ」と言ってくれるんだけど、「おでんを作ろうと思う」と言うと「コンビニのでいいよ」と返される。

それは「コンビニのが良い」という意味ではないのか、と若干思うけど、そこは深くつつかない方が円満でいられると思うので何も言わない。

 

でも、いつまでもコンビニのおでんを頼りにするわけにはいかない。(台所を預かるプライドの問題)

というわけで、何度目かのチャレンジ。

 

今回は、心を鬼にして皮を厚めに切って、生米少々と水をひたひたにいれて、電子レンジで10分茹でてから様子を見て、さらに5、6分ほど茹でた。

これで十分、箸で切れる柔らかさにはなった。

 

それから、おでん鍋につっこんで、軽く煮立たせてなじませてから、火を落とした。

冷めていく過程で、だしが染み込んでくれれば成功である。

 

明日、結果が分かる。

 

10年前、まさか自分がこんなことで一喜一憂する生活になるとは、、、ちょっと予想はしてた。

なにせ、学生の頃から、好みのタイプは「寝食忘れて好きなことに取り組む人」だったので。必然的に、お世話スキルが上がるよね。

 

というわけで、10年前は出来なかった、やわらか大根が今日いよいよ!?

楽しみです。

 

 

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

下がり調子の真っ最中。

テンションが低い!

(ビンタパ―ン!)

 

仕事がマンネリ真っ最中。

プライベートもイマイチ絶好調。

 

新しい刺激!新しい刺激がほしい!

というわけでモダモダしてます。

 

新しい話が聞きたいんだけど、どうにも聞く気力がない。

 

このローテンションが周期的なものなのか、どうなのか。

もうちょっとあがってくんないかなあ。

 

と思いつつ、ONE PIECEのアニメを見てる。

椅子を新調して1週間たった。

机をかなり選ぶ椅子だと思う。

 

座り心地はそんなに良くないので、好きなクッションを買うといい。

自分は愛用のクッションを置いてる。

 

足は置けるようになったので、姿勢を変えるのがすごく楽になった。

ただ、構造上、座面は一番低い位置にしても結構高い。

さらに膝を立てると、天板の位置はさらに高めになる。

 

図にするとこう。

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座面は『高さ50cmから60cmの間を調整可能』となってるけど、構造上、50cmに設定すると足の置き場が回らなくなる。

高さ調整のハンドルが足置き場と干渉するからだ。これは設計ミスだろう

 

結果として、座面を60cmにした上で、立て膝の分の高さをプラスしたところが、机の天板のベスト位置になる。

だいたい90cmか100cmぐらい。

 

これ、調べるとすぐ分かるけど、そんな高さの机ってほとんど売ってない。

自分の机は高さを気軽に変えられるので良かった。

 

自分は良い買い物だったと思ってるけど、他人にはあまりオススメしないです。

一つの曲をシーンごとにアレンジきかせるやつ好き。

例えば、ゲームのオープニングテーマが明るくて前向きでポップな感じだったとして。

そのフレーズが、物語中盤の悲しいシーンでピアノアレンジになったり、ボス戦で荘厳な曲になったりするっていうタイプの使い倒され方がホント好き。

 

というわけで、FF14のサントラ、本日(もう昨日か)発売です。

FF14って、この使い倒しがすごくて、使い倒され方で物語を感じるんですよ。

例えば、仮面ライダー1号のテーマと2号のテーマがあるとして、二人が協力して戦うときには、両方のテーマをあわせた曲を用意してくる、みたいなことを当たり前にやってくる。

じゃあV3とアマゾンが合流して4人で戦ったら?もちろん4人で戦う時専用の曲が用意される。

そんなことしてたら作曲数はんぱないじゃん、と思うんだけど、実際に曲数が半端ない。

 

一応、サントラは全部買ってるんだけど、(ゲームに登場しない曲を集めた)アレンジ集を除いても、6枚?ぐらいある。

んで、最新のやつだと84曲入ってる。

それでも多いな、と思うんだけど、実際にゲーム中で使うときには、もっと細かい調整をしてるから、曲数としては数倍に増えるんだそうで。ただ、お客さんが聞いても違いがわかんだろうから、ってんでサントラ用にまとめてるらしい。

(インタビュー記事で読んだ)

 

個人的に好きな曲は、蒼天街の曲。

好きな理由は、、、と書きかけて、何書いてもネタバレになるので消しました。

それなら公式のトレーラー動画でも、、、と思ったらそれもネタバレ含まれてるでやんんの。

まあ、でもそうか。

 

アメリカドラマの連続シリーズみたいなもんだもんな。

途中の次回予告みたら、そりゃネタバレになるわな。

モンハンやってる。ライズじゃないやつ。

ワールドの方。

明るいゲームがしたい、と思ったので久しぶりにモンハンに手を出した。

今だと初心者優遇なのか、なんかすげー強い防具が初期でもらえるので強くて楽しい。(ただし見た目はダサい)

 

モンハンはプレイヤースキルがそこそこでも、装備が良いとゴリ押しできるのが良い。

ただ、装備を揃えるのがめんどくさく感じる。

 

リオレウスとか超でっかい全身が鎧みたいなモンスター倒して、素材をはぎとって、防具屋に持っていくと「鱗が2枚足りない」とか言われるのは何度見ても納得がいかない。見た目の大きさと、取れる素材のギャップが激しすぎる。

 

あと、モンハンワールドの特徴としては集会所を必ず作る、って点。

PSPの頃は、一人用とパーティプレイ用は入り口からハッキリわかりやすく分かれていたけど、今作からは「村」がない。一人でも集会所を作らないといけない。

 

自分はソロプレイで気楽に遊びたいので、パスワードかけたりクエストに一人参加したりしてるけど、なんか妙な居心地の悪さを感じる。

 

攻略情報を見た所、一応、一人参加時に敵が弱くなる仕様などもあるようで、ソロプレイお断りってわけではないんだろうけど。

『集会所』って名前がよくないのかなあ。

 

なんか会議室借りといて、一人占めして使ってる感がある。

 

ただ、お話は相変わらず明るい。

ふっとばされても、高い所から落ちても、誰も死なない。

アイルーはニャーンとなるだけ。

求めていた明るい暴力。こういうのありがたい。

 

しかし、なぜ最近のアクションゲームは暗い設定を持ち込もうとするのだろうか。

もっと脳筋でいいじゃないか。あかんのか。