そらを自由に飛びたいな

おっさんのぼやきです。

夏なので短歌はじめました

久しぶりに更新。

 

短歌はじめました。

以前より「何かテキストやりたい」とは思っていたんだけど、書き切るまではいかなくて、更新日付から数ヶ月ぐらい経ってからファイルをそっとアーカイブする、という繰り返しで。

 

先日、ラジオ聴いてたら、七夕で「中年の願い事って、つまんねえな」という話が流れてきて、ほんとそれ。

我が身を振り返ってみても、毎日ご飯食べて仕事して平穏無事に過ごせればそれが何よりだよな、とか思っちゃっている。

願いといっても「どっか旅行にいけたら行きたい(でも移動が面倒)」とか「何か美味しいものを食べたい(でも肩が凝るのは嫌だ)」とか()で条件がつく。

この()こそが「オジサンになると話が長い」の長い部分ではなかろうか。

 

短くスパっとね。

「スカイダイビングで、都庁に着地してみたい!」

とか、そういう願いがトンとなくなった。

「分相応が幸せ」といえば聞こえが良いけれど、つまらないことを願う大人になってしまった。

新しいことへの挑戦とか、とんとしなくなった。

 

というわけで、短歌です。

 

入門本みたいなのに「短歌はリアルタイムなことを書くのには向いてない。リアルタイムは、目や耳でそのまま感じたり、カメラで撮ったほうがいい。その出来事をあとで思い出そうとして、消え掛かっている記憶だけど残しておきたいことなんかを詩として短歌にするといい」と書いてあった。

これならインプット材料は思い出だから私でも書ける。

 

短歌なら、スキマ時間で完成する。

俳句より入門のハードルが低い。

 

作った短歌は後で読み返したり、なんなら作ってる最中でも「イマイチだな」と思うことは多いけど、いったん作る練習中。

「1日1時間」を続ける自分なりのコツみたいなもの

結論を先に書くと「リトマス紙のようなすぐ分かる効果計測を毎日やること」です。

自分の場合、前屈をすると床に手がつかない。

けど、1日分の運動をしたあとで、前屈をやると床に手がつく。

このビフォー&アフターを毎日体感すると、続きやすくなります。

 

結論は書いた。

ここからは、余談。

 

なんやかんやで「1日1時間」の運動が、1年ぐらい続いてる。

 

去年の今頃は、1時間かかるコースを散歩してた。

今は、家の中で、一人でヨガみたいな体操やってる。

一応、毎日続いてる。

 

もともと、我慢強い方ではないと思う。

効果が感じられないとすぐにやめる方です。

なので、効果を毎日感じられるようにした。

(これはヨガの先生が「体の変化を感じて」と毎回、何度も言ってたことで気がついた)

 

さらに余談。

 

人は、目標があるから力をつけるのではなくて、力を行使したいから目標を作る。

という説がある。

 

赤ん坊は、外からの刺激を受け取るだけの状態から、手足が動かせるようになると喜ぶ。さらに、手足を使って物を落としたり転がせるようになると、さらに喜ぶ。

「環境に変化を加える」という本能的な快楽がそこにある。

 

反対に「環境に変化を加えられない」と分かると退屈を感じる。

「やっても無駄だ!」と感情的な反発が起きる。心には逆らえない。

 

「1日1時間」を行なっても「変化を感じられない」なら、続けることはとても厳しい。

変化を感じられないのに続けられるとしたら、それは宗教かセルフネグレクトなのではないか。

例えば、何かしらの罪悪感に対して贖罪としてやっているとか。

 

さらにさらに余談。

 

ダイエットの「毎日体重を測ってモチベーションアップ!」は完全に嘘です。

3桁の人はともかく、2桁の人の体重はそんなに変化しないので、毎日みても変わらないです。苦痛です。

機械的に毎月測るとかなら良いと思います。それを見て一喜一憂しないのが重要)

 

それよりは「スポーツジムに会いたい人がいる」とか「散歩コースに巣作りをする燕を見つけた」とか、毎日少しずつ変化するものを見つけた方が良い。

 

今年の目標「猫背解消」した、、、?

解消とまではいかないが、マシになった。

やったことは、下記4点。

・整体通った。

・ヨガやった。

・枕を変えた。

・机を変えた。

・EMS毎日やってる。

 

肩こりなど体の歪みを生む習慣を減らして、運動習慣を加えて、EMSで刺激いれてるよ。

いわゆる『特別なことは何もしてない』です。

以下、具体的に書く。

 

■整体通った。

整骨院の方です、健康保険が効くやつ。

振り返ってみると、ここが起点だったな、と思う。

「体やばいですね」だけではなく、具体的にどこが悪くて、どう影響してるのかを説明してもらえたのが良かった。

 

「ゾンビ」状態から、最初の3ヶ月ぐらいで「瀕死」ぐらいまで戻してもらえた。

ただ、さらに3ヶ月通っても「瀕死」だったのと施術内容が毎回ほぼ同じになってたので、新しく何か追加せねば、とヨガに手を出した。

その後、さらに3ヶ月たって「ヨガだけで十分だな」と思ったので、通うのをやめた。

通算すると9ヶ月ぐらい、週2で通ってた。

 

■ヨガ通った。

通うことより、自分にあったヨガを探すのが大変だった。

特に「男性一人で、運動強度低めでやってる少人数のヨガ教室」となると、ほとんど見当たらなくて困った。

まず、少人数の時点で「女性専用」であることが多くて、「男性も歓迎」を見つけても「ただし、体の柔らかさが女性並であること前提」だったりして、実質1カ所しか見つからなかった。

自分が通ったのは、健康運動に近いやつ。横浜あたりの公園で年配の方達が太極拳とかやってるような、ああいうイメージ。のスタジオ版。

運動強度は低めだったけど、ちょうど良かったし、それで毎日の日課も組み立てた。

月額固定の通い放題だったので、週4ぐらい通ってた。

ただ、7ヶ月目ぐらいでスタジオが閉鎖となり、通えなくなった。残念。

今も、毎日40分ぐらいヨガやってる。

 

■枕を変えた。

「あなたの寝姿にあわせてオーダーメイド」みたいな2万円ぐらいの枕を使ってたんだけども。

あってない気がして、無印で4千円ぐらいのやつを買って使ってみたら、毎日辛くなってた肩周りがマシになった。

これも「自分の肩の高さならこれが合うはず」と考えて買えたので、整体様様です。

 

■机変えた。

厳密には変えてない。

仕事用の机は、以前から使ってた電動で昇降するやつなんだけど、立った時の高さにあわせて、それ以外変える必要がなくなった。

8時間ぐらい立ったまま仕事ができる体力がついた。

これにより、「座った時の正しい姿勢」とかガン無視できるようになった。

ずっと立ってるからな!

 

■EMS毎日やってる。

これも整体でやってもらってたのを真似た。

楽天で、ランキング上位の1万円ちょっとのEMSマシンを買って、肩と腰に毎日使ってる。

30分ぐらい横になって、びくんびくん跳ねてる。

たまに強くやりすぎて、翌日に揉み返しが発生したりするけど、弱めにやればそれも直るので、EMS万歳。

教えてくれた整体万歳である。

 

そんな感じで、肩と背中と腰がかなりマシになった。

 

余談だけど、先日、ワールドカップサッカーで、30代後半のベテランプレイヤーが倒されたあとで、腹筋だけで起き上がってるの見て「あの体いいなあ」とぼやいたりしてた。

「民俗学の旅」を読んだ。

先日、千葉の国立民族学博物館に行った時に、抜粋されていたワンフレーズに惹かれてこの本を購入した。のだけど、どんなフレーズかは忘れた。

(撮影禁止エリアだったので、書名だけメモって売店で購入した)

 

日本の民俗学に大きな影響を与えた宮本さんの自叙伝です。

研究ばかりではなく、百姓やったり、役人をしたり教師をしたり、と生活の合間に研究を進めた人で、「すごい学者ってこういう人もいるのか」と驚きを感じた。

 

太平洋戦争の戦前や戦中の暮らしぶりも描かれているので、好きな人にはオススメできます。『ラジオから流れる玉音放送を前に、日本中の国民が膝をついた』とか教科書の嘘ですからね。

(私は、生前、祖父母からそのへんの話は聞いた)

 

感想はここまで。

 

私自身が初めて行ったフィールドワークっぽいことを思い出したので書く。

といっても、当時は「フィールドワーク」という言葉は知らず、『現地の人から土地の古い話を聞くの楽しい』ぐらいの認識だった。

 

宮古島にいった時。

着替えを洗濯するために訪ねたコインランドリーで、オーナーであるご年配の女性と話をする機会に恵まれた。

 

女性は(宮古島より小さな)多良間島の出身で、若い頃に、漁師の男性に見初められて、大漁旗を掲げた漁船で迎えに来られたそうな。

「今の人に言ってもわからないかもしれんけど」と付け足しつつ、嬉しそうに語っていたのを覚えている。

その後、結婚して男性の住む宮古島で共に暮らし、真水の調達すらままならない厳しい環境の中で暮らし、便利になっていく宮古島を見てきた、といった話をしてくれた。

旦那さんは老いてお亡くなりになり、女性は昼間のクリーニング屋でのんびりして、客を捕まえては話し相手になってもらってるらしい。

「また、おいでよ」と言っていたので、その後、島に滞在中、2、3回覗いたのだけど、あいにく留守だった。(無人のコインランドリーで留守も何もないんだけど)

 

また、宮古島を一人でぶらりと訪れたいな。

今なら、あの頃よりもっとちゃんと話を聞けると思う。

「天気の子」を見た。

いまさら。

特にネタバレなしの感想文です。

 

『君の名は』を見て、(気持ち悪いファンの一人として)「ああ、新海誠監督はいろいろアレになったんだな」と思ってしまい。

それ以来、なんか明るそうな作品には近寄らなかったんだけども。

 

見てみてよ。と友人に言われたので、見てみた。

面白かった。

改めて、新海作品を最初から見直してみようかな、と思った。

作品については以上です。

 

見ている時に、実家で働いてた頃、毎朝、天候をチェックしてたことを思い出した。

 

魚を天日にさらして干す仕事がある。

日本海側にある過疎の漁師町。

年間降水日数は172日。『降った日』でほぼ半分。残りのほとんどは『降りそうな日』。

 

そこで魚を干す。

シラフでツッコミを入れるなら「なぜ、その仕事を選んだのか」と言いたくなる。

けれど、漁業以外の産業が育っておらず、近くに消費しきれる大きな街がないから、保管のために干している。消去法だ。

 

魚を干すのに重要なのは、風だ。

紫外線量は、割とどうでもよいので、雨さえ降らなければ良い。

でもまあ、けっこう降る。

 

毎朝、空を見て「降りそう、、、だけど、まだ降ってないから降らないかも」と期待を込めて、準備をして魚を干す。

干してる最中に降り出したりすることもある。

そんな時は、急いで取り込んで、狭い作業場に広げて、大型の送風機を全力で回す。

 

私が事務所として使っていた部屋まで、湿気や匂いが流れてくるので、本当に勘弁してほしかった。

でも、それが「ここで生活する」ことなのだと思ってた。

 

天気はコントロールできない。

雨が降れば傘を差し、風が吹けばしがみつき、雪が降れば雪かきをして、晴れの日には散歩をする。

そうやって『ついていく』。

ついていけなくなった者は、いなくなる。

そういう死生観。

 

反面、東京では、自然をコントロールしよう、って気合いをすごく感じる。

 

別に「大自然のままが本来の姿」みたいなことはあんまり思わなくて。

ビーバーが川の流れに逆らってダム作るのも大自然の一部だし、鳥が木の枝集めて巣を作るのだって大自然の一部で。

その延長線上に、人間がビル作ったり、屋内で畑作ったりしている。

人間が「自然をコントロールしてやるぞ!」て思うのも、「流れのままに生きて死ぬのだ」て思うのも、どちらも大自然だと思う。

 

個人的には、元気な時は「流れについていってやるぜー」と思うし、元気がない時は「屋内!エアコン!」って思う。

まあ、勝手な生き物だし、勝手な生き方だよなあ、としみじみ思う。

 

そんな感じで、人間のちっぽけさを感じた。

podcast配信はじめたけど、再生数3で心くじけそう

タイトルでお気持ち表明。

 

ブログとかの場合は「チラ読みしてすぐ立ち去る」でも閲覧数にカウントされるって知ってるんだけども。

podcastの再生数ってどういうカウント方法なんだろね。

 

再生数3が「最後まで聞いた人が3人」ならまだいいけどさ。

再生ボタンを押した人数だとしたら、怖いぜー。

 

 

anchor.fm

 

今回の内容です。

  1. 前回の配信は、再生数3でした
  2. 九十九里の海にいったよ
  3. デザフェスいったよ
  4. 「元彼の遺言状」読んだよ
  5. 「魔女のマリーは魔女じゃない」を読んだよ